- ヒョウ「投票してくれたらお前の顔を食べてやる」 Aさん「そうなんだ、じゃあ一票」 ヒョウ「投票ありがとう、がぶり」 Aさん「まさかヒョウが私の顔を食べるとは思わなかった」 Aさんを愚かと呼ぶことは倫理的に正しいのかどうか、といった議論をする気力はもうない、というのが正直なところだ なんと呼ぼうと、投票先を間違えた事実は変わらない
- ひとつ付け加えるなら、さすがのヒョウも現実では「お前の顔を食べる」とまで直接的に言うことは少なく、かわりに「外国人を食べてグレートアゲインする」みたいなチラシをバラまいたりするが、よくみれば(※ただしお前の顔も食べる)と小さく書いてある 投票した人が、邪悪でないにしろ、愚かでないにしろ、あまりに不注意なのは確かだろう bsky.app/profile/numa...
- 「肉屋を支持する豚」という言い回しは(豚に対して無礼な感じがするので)好きではないが、たとえば日本の自民党なんて金持ち優遇政党の最たるものだが、あなたは自民党政権が続いたって貧乏になるだけだろという層の人が、選挙で自民が勝つたび「ざまあ〜笑」とか言ってるのを見ると、いやざまあではないが…と思う。ただ(無礼な表現に頼るなら)「いかに豚を騙して支持させるか」も「肉屋」にとって必須業務のひとつであり、当然ながら日頃からそこに多くのコストを払っている。 近い意味で、アメリカでは「お前の顔を食べるヒョウ党」という言葉が流行っている。その党に投票した人が「私の顔をヒョウが食べるとは思わなかった」と泣くのだ
- 「差別主義者や極右に傾倒する人をバカにせず、寄り添うことが大切だ」という声をよく聞く。 だが、たとえば目隠しして叫びながら崖っぷちに突っ走ってる人がいた場合、真にこの人に「寄り添う」姿勢というのは、「うんうん、それもまたひとつの方向性だね」と肯定してあげることではなく、「バカなことはやめろ」と体当たりしてでも止めてあげることだろう。 しかし別に誰が崖から落ちようがどうでもいい人が、止めようとする人の言葉尻をとらえて「あれ〜?バカって言いました?分断を招くのでは〜?」とか言い出す。 そうこうしてるうちに、崖に突っ走ってる人は、ただ崖から落ちる。国ごと崖から落ちている真っ最中、と言えないこともない
- →バカにされて良い気分になる人はいないので、基本どんな人のこともバカにしない方が良いのは確かだし、差別主義者に「やめろバカ」と言ってもまず聞き入れないだろう。 しかし、だからといって「差別主義者をバカにしても何も良いことはない」というのは違うと思う。というのも、明らかに間違っている言動や、倫理的にダメな振る舞いがバカにされることで(差別に染まってしまった本人ではなく)周りの人が「あれはバカにされるにふさわしい振る舞いなんだな」と気付くという、実際的かつ社会的な効果があるのも事実だからだ。現に海外のコメディなどではそうした実践をよく見る。 嘲笑はたしかに取り扱い注意だが、有意義な力にもなりうる。
- 「いま差別や排外主義に染まって参政党とかに投票してる人に必要なのは、バカにすることではなく、ケアである」といった意見は、差別に染まっている本人をどう立ち直らせるかという観点から見れば、そうだねと思うんだけど、まぁやっぱどう転んでも加害者なので、誰かが「ダメなものはダメ」と伝える必要は必ずあるし、「人はバカにされるべきではない」という基本原則を乗り越えて、バカにされることに一定の意義が生じる種類のダメさでもある。 人類の歴史のなかで人種差別や性差別が(十分ではないものの)力を弱めてきた背景には、それは人種差別や性差別を唱える人が、めちゃくちゃバカにされてきたから、ということも確実にあると思うよFeb 2, 2026 12:25