- これとは微妙に違う話かもしれないが、優れたフィクションは普遍的な面白さや美を志向するためにどこかで既存の秩序に乗っかることになる、つまり保守的にならざるを得ないのではないかと思う 人気の作品が大抵いわゆる「ポリコレ」的観点から批判されるのは、そもそも(優れた)フィクションそのものに社会正義と食い違う部分があるからかもしれない
- 「作品に言いたいことを込める」、そりゃうまくいったら作品外で何か言うより巨大な射程と深度を獲得できるから(例:チャップリン『独裁者』)、才能あるクリエイターはどんどんやったらいいけど、たとえ成功例であっても、大抵は何重ものメタファーや間接表現に頼ることになって(例:『キャシアン・アンドー』の虐殺反対や『ウィキッド』の差別反対)、ある種の読み解きスキルも必要になるし、気付かない人は全然気づかないのよね。フィクションの縛りはやはりデカイ。 なので、なにか具体的なリアタイの社会問題に対する反対とか懸念は、よほど特殊な条件でも揃わない限り、普通に一個人が現実的な言葉で発信したほうが手っ取り早いと思うぞ
- なのでプロパガンダを創作でやるのは案外効率が悪いのかもしれない