山中拓也
面白い人間を作ります。
カリギュラ/ミルグラム/うたごえはミルフィーユ など
- 僕が時々いう「シャバい」という感覚の一例をあげるとすれば 舞台や朗読で「役を降りてメタの笑いを取りにいくこと」と「それを面白がること」と「それで取った笑いを実力だと思ってしまうこと」です。 それをやれば容易にお客さんは笑うんだけど、その笑いと引き換えに世界は壊れているわけです。 つまり、それは戦うことを諦める姿勢であり、戦っていないことに気づかない傲慢さに向けられているのだと思います。
- レゼのダンスを踊る人がダサいという論調については、「大抵のインフルエンサーの拍のとりかたがオンビートだからダンス自体があまりよく見えない」という技術の問題と、「いかに早く流行りに乗るか勝負という価値観の品」というシャバさの問題が混在しており、厳密にはそこを切り分けて話さなくてはならない。と思ったんだけどそもそも話さなくていい。
- Apple Watchを買ったんだけれどまったく使いこなせていないまま、電池切れやすい時計になってる。高価なガジェットを買っても毎度使いこなせていない。愚か。
- ちなみにたまに流れてくるウェディングドレス着せる企画とかも、初めてのウェディングドレスはこんなところで見せずに愛する人に見せてあげておくれよ……と渋い顔になるのでこの世界向いていない。
- 芸能の子が露出コスプレをすることに心を痛める季節がやってきた。渋い顔してタイムラインを見なければならない。せんでええ。せんでええ。大事にせぇ。それで集めた客は、それがなくなったら離れる。
- カテゴライズされないようにと構成したキャラクターの人間性を、そこらへんに"ある"言葉で表現されてしまうとき、そうじゃねぇだろそうじゃって思う気持ちと、パッケージしないと食べさせにくいもんね、という気持ちが混在して苦しむ。この苦しみは一生付き合うものなのだし、理解されなくとも自分で大事にしていくものである。
- ウケたいとウケたくないは常に同居している。 どこで金儲けてんの?とか疑問に思われるときもあるけど、儲けはそこそこに自分が面白いと思えるものを作りたいという欲の方が圧倒的に大事で、それがビジネスにおいて理解されないことは結構多い。 これは本当に綺麗事を言っているわけではなく。100万稼げてるコンテンツで「これをやったら1000万稼げる」という案が作品を濁らせるならやりたくない。その900万に来てくれたお客さんを楽しませ続けることは、自分の心をすり減らすことにつながって、物作ることを楽しめなくなっちゃうから。継続性がなくなる。
- ちなみにこれは自分がプロデュースしてたり、自分が責任持ってるコンテンツの場合のみね。人様に頼まれた仕事は、頼んでくれた人の望みを叶えるためにわがまま言わないよ。
- 今同時に7つくらい作品に関わってるんだけど、1作品だけ自分が何の戦力にもなってないなーって感じるものがある。畑違いすぎて。わからん。 それの心労がエグい。自分の場合、大変さってのは実際の労働時間じゃなくて。貢献できてない、バリューを出せてない、というとき。無力感は精神面での削れっぷりがデカい。 でも最近「先生〜」ってありがたがられる現場とか、自分の適性がある得意分野の現場とかが増えていっていたので、こうしてわからない仕事がきて右往左往するのもとても貴重な経験だなと思います。ギリギリ折れてない。大丈夫。
- 今どういう状況かというと、昨日の20時から書き始めた脚本を10時間くらいかけて書き終えて迎えた朝です。こういう報告を僕は「働いてる自慢してるみたい」に感じてしまうのでTwitterでは毎度セルフボツしています。裏垢が欲しい。
- 今月は本当に息継ぎの暇もないほどに忙しくて、さすがに心が折れそうでした。常に何かの締め切りに対して全速力で走っていました。今日一日くらいちょっと息が吸える感じ。はーーーー。 忙しい!とかしんどい!とかをTwitterで発信するのはなんだかイヤなので、発散したくて書いた文章を消すことの繰り返し。たまにブルースカイ……ブルースカイだっけこのアプリ。ブルースカイでいいのか。ブルースカイの存在を思い出してココならいいかと書いています。意外と助かる。
- うたミル最終回を無事迎えられて本当に良かった。製作陣が踏ん張ってくれた。あぁ良かった。はーーーー。お疲れ様でした。
- ムスブの学業の成績が悪いのも、ウタの成績が良いのも本人たちのパーソナリティからすると割と当然のことのように思うのだけれど意外がられているのは面白いよね。ビジュアルの記号化の功罪。
- ネガハピとかうたミルとか、それこそミルグラムとか、面白い面白いって言ってもらえるんだけど、もしそれを間に受けていいんだとしたら、僕の作品は急に面白くなったわけじゃなくて元々なので最初の最初のうちにカリギュラと出会って見つけてくれた人が凄いって話なんだよな。その人たちのおかげで今がある。僕が凄いって言われたらその人たちも凄いってなって、多少自慢できるようになってくれたら嬉しい。
- 作家の人格面について問題になっている。実際にどうかはともかく、インターネット上の見せ方はある程度コントロールできるだろうになんで汚い言葉で喋ったり、悪い人をやっちゃうんだろう。良い人の方が明らかにかっこいいのにね。
- あっ!ブルースカイの皆様! 山中がシリーズ構成/脚本をやっておりますTVアニメ「うたごえはミルフィーユ」始まっております。楽しいです。良かったら見てやってください!
- ネガハピが直前におバズり遊ばせてくれたおかげで、うたごえはミルフィーユに変なバイアスがかかってしまっているんじゃないかって恐ろしい。 コメディはうたミルにとってはあくまで副菜なので……というか、コメディを主菜にしてるのはネガハピだけなので…… カリギュラとか、すごい素敵なゲームも作っているんだよ。ミルグラムという真剣勝負もしてるんだよ。ネガハピの侵食力に恐れをなしています。
- ファンの方と気軽に交流がしたいね。浄化されたい。
- やるせのねぇことが多いねまったく🥲
- あんスタ凄い。あそこまでの熱狂を生み出せるコンテンツであるといことが驚異的。門外漢ながらみんなが少しでも気持ちよく受け入れられる着地すればいいなと思う。 しかし、あそこまで尖るんだったら、僕ならあそこからファンに受け入れられず脱退する脚本とか書きたいと思っちゃうな。現実と連動して受け手の心にブチ刺さる。作品の展開と、受け手の気持ちが一致すると強い。そこから気持ちよくしても良いし、裏切っても良い。
- 何か質問あります??
- どんなに自分が嫌いなモノでも、好きな人がいるから極力直接的に嫌いの気持ちは出さないようにしているんですけど、ディープフェイクによるポルノは本当ーーーーに嫌いで腹が立つ。人の尊厳をなんだと思ってるんだ。
- 推しの子最終回によろしくない反応が目立って悲しいけど、自分にも訪れる未来だと思う。 自分も間違いなく「みんなが見たい終わり方」よりも「自分が書きたい終わり方」を優先するから。 世の需要からモノを作ってるわけではなくて、自分が作りたいモノに需要が運良くあった、という人間だからこれは避けられない。
- カリギュラが関係してたら人の心を黒に例えることを許すわけがなかろう。ぷりぷりしちゃう。
- いつだって僕は自撮りの少ない役者の味方。芝居でのみ評価されたいという、現代に合わない不器用な姿勢は絶対に損なんだけど、その損を選んででも何かを守りたい人の、稀にある得になってあげたい。
- なんかエネルギーがないんだなー、僕は。 ぼーっとしてたら1日が終わってる。日常+アルファができない。日常やった上で、書類取りに行くとか。日常やった上で洗車行くとか。偉いなぁみんな。
- 知人に「イメージほどは儲かってない」という話をすると、『0→1作る人は1しか儲からないけど、1→100にする人は99儲かるんすよね』と言われ、なんだか世の真理っぽかった。いやだーーーー俺を富ませろーーーー
- 僕は世の中の道徳や倫理に完璧でいたいというわけではなくて、全方位誰からも文句のない作品が作りたいというわけではないわけですよ。僕の作品を現代の価値観に合わせていると評価してくれる人もいれば、差別的だと感じる人もいる、それはモノを作る以上仕方ない。人間がそれぞれ別の意思を持っている以上仕方ない。 ただ自分が理想とするラインを作品内でも徹底したいだけで、それだけが唯一実現可能な誠実さであるわけです。 なもので前述のような知らず知らずの加担が一番ダメージが大きい。誰が悪いってわけでもないんだけどね。
- でね、僕は本当にそのコンテンツに知識がなくて。 ライターさんがそれをもじってつけてきたキャラクターの名前をスルーしてしまって、知らず知らずのうちに加担してしまうという事態も起きたりして。 苦手だなと思っているものに対しても知識がなければ、思想を貫けないというお話でございました。難しいね。
- 楽しんでる人に水を指す内容になってしまうから なかなか言いづらい話。 ニコ動世代ではあるんだけれど、昔から『淫夢』というのに苦手意識があってまったく触れてこないでいたんです。 あれ自体ではなく、ゲイビデオを見て皆で笑うという感覚がどうもしっくりこなくて。 ネットミーム連発人間がそもそも苦手なこともあって、自分の中ではスルーする対象になっていたわけです。 でも結構最近それをパロディしたものや、モチーフにしたものがメインストリームの中にあってモヤっとしているんですよね。色々な価値観が書き換えられている中で、それはそうなんだ……って。
- 僕はフリュー(概念)と価値観の違いで袂を分かっているわけだけど、そこで頑張って踏ん張ってるクリエイターのことは勿論応援している。負けないで欲しい。
- カリギュラ、いつもやけくそみたいなセールしとる
- 「マスター」とか「トレーナー」とか「プロデューサー」とか作中の主人公とキャラクターのある種の上下関係を、現実まで貫いて受け手である我々をそう扱う構造。 コンセプトを徹底している美しさと同時に、それを自分とコンテンツや役者との上下関係と錯覚して横柄になってしまいかねない危険性の方が気になってきてしまう。 僕はアイマスが大好きだけど、キャストとキャラクターを同一視させるギミックの発明にはしっかり功と罪があると思う。
- 声の芝居って大別すると、外側から"そう聞こえる"形(音)を作るタイプと、内側から"そういう"感情を作るタイプで分かれる。その両方を括って一言に上手いというのは危険。 良い作品の良い芝居というのは、役者のトーンを合わせること、同じ地平に立たせることが必要不可欠で、その重要性を考えなきゃいけない。キャスティングから作品作りであって、そこを担う人がもっと芝居に興味を持たなきゃいけない。 特にゲーム業界の製作者って芝居に興味ある人が少ないイメージがある。大抵が「キャラに合ってるか」「感情がわかりやすいか」「音としてキレイか」ってところに留まってる。
- 客層による難しさは結構感じた。笑わせたいシーンで笑いが起きすぎたりする。流れの途中のフリで爆発みたいに笑いが起きて、意図とズレる。生の芝居は逆の笑いの沸点も含めてデザインしなきゃいけないんだなってのはすげぇ面白い世界だなと思った。いいよなー。
- 僕があまりそういう文化に触れてないからなのかもしれないけど、人が喋ってる時に客席から大声出して主張するのは好きじゃなかった。